ねじまき鳥クロニクル(小説)

「ねじまき鳥クロニクル」の舞台を観てから1週間ほどで村上春樹の原作(新潮文庫)を読了した。出版直後に単行本を購入して読んだ後で一度は再読しているはずだが、最後に通読してから15年以上は経っていると思う(そういえば、三女から学校の国語の先生が作った推薦本リストに入っている村上春樹作品はこの作品だけだと聞いたことがある。そのときは再読してみようと思ったのだが、結局手に取らなかった。)。複雑な小説を前に簡単なコメントをすることは憚られるのだが、読了して最初に思いを巡らせたのは、第1部から第2部と第3部では肌触りが違うという点だった。出版の時期も1年以上ずれており、メインストーリーとして描かれた時間の長さも異なるのだが、状況に流れが生じて主人公が「能動的」になったことと、文章の視点の切り替わりが増えたことは関係しているのだろうか。次に頭に浮かんだのは、「善い暴力」はあるのだろうかという疑問かもしれない。それは「悪い暴力」があるのかという疑問でもあり、「善さと悪さが混じり合った暴力」があるのかという疑問でもある。作品の中では、暴力の不可避性や(権力の)強さや弱さに関する言及はあっても、善悪への言及はなかったのではないか。20代で読んだ時よりは落ち着いて読めているように思えるのだが、それでもこの作品に正面から素直に向き合えているのか自信がない。もう少し時間をかけてゆっくりと読んで考えてみようと思って、そんな気持ちを忘れないように、今日は使い捨てではない長く使えるライターを買ってみた。いつか使うかもしれないバットを買ってみても良かったのだけれど。