ねじまき鳥クロニクル(舞台)

東京芸術劇場プレイハウスでInbal PintoとAmir Kligerのイスラエル人のふたりが演出した「ねじまき鳥クロニクル」を観た。原作を精密に解体して、暴力、セックス、死、異界、歴史といった諸々の要素や、井戸、壁、電話、バット、ライターといった様々な道具を取り出して、台詞とダンス、歌と音楽、美術と照明を複雑に組み合わせて響かせながら3時間弱の舞台に再構築した力作だったと思う。言葉を超えたものを身体で描こうとする表現の持つ魅力や、役者や照明と呼吸を合わせて奏でられる音楽の贅沢さ、そして役者の魅力(間宮の長台詞の力演!)のそれぞれが印象深かった。初演は観ていないのだが、繰り返し再演されることで深まっていく芝居のように思えた。原作は、書棚の単行本はいずれも初版第一刷で、発売直後の第3部を夏休みのモンゴル旅行に持って行って読んだ記憶があるのだが、英語のAudio Bookを入手していないこともあって、長いこと疎遠になっていた。舞台を観る前に再読できたのは第1部の最初だけだったのだが、それでも、以前とは違う新しい読書になる実感があった。若かった頃には分からなかったことが分かることもある。でもそれだけではなくて、若かった頃には感じられたことが感じられなくなってもいるのだろう。結局、手に持ったライターの小さな灯が広大な暗闇を僅かに照らし出す位置が多少変わっただけで、ライターの火が松明のようになることはないのかもしれない。それに、仮に篝火のように燃えたところで、自分の眼に見える範囲など高が知れたものなのだ。