親の顔が見たい

東京芸術劇場シアターウエストで劇団昴公演「親の顔が見たい」(作:畑澤聖悟、演出:黒岩亮)を観た。弘前劇場の公演を観られないまま長谷川孝治は亡くなってしまったけれど、畑澤聖悟の戯曲がかかると知って奥さんを誘って劇場に出掛けた。教室に集めれたそれぞれ多少戯画的に誇張されたキャラクターの親たちが、突然の訪問者や展開の変化に揺れ動きながら、いじめ自殺を巡って言葉を闘わせる一幕物の脚本には、偶々乗り合わせた親たちが想定外の激流をラフティングボートで下っていくようなタイトさがあって、緻密に作り込まれている印象を受けた。役者さんたちもそれぞれに魅力的なキャラクターで、楽しみながら息つく間もなく観終えた印象なのだが、それだけに、舞台上でこの舞台限りのどんなケミカルが生まれていたのか、できればもう一度観てみたいと思ったりもしている。いじめについては、5人の中学生が1人の同級生をいじめて自殺に追いやった事件が背景にあるのだが、いじめの原因がもっぱら親にあるとは思えなかった。親たちの誇張された性格は多かれ少なかれ誰の中にもあるもので、むしろいじめがエスカレートしていく前に気付けなかったのか、止められなかったのかという思いが残り、芝居の中で直接的には描かれていない各家庭の中での家族の様子やこれからが、芝居を観終えた後で大きな余白として浮かび上がってきているように感じている。