さばかれえぬ私へ 被膜虚実/Breasing めぐる呼吸(東京都現代美術館)

東京都現代美術館で「さばかれえぬ私へ」と「MOTコレクション 被膜虚実/Breasing めぐる呼吸」を観た。宮城と福島で活動する二人の作家の作品を展示した「さばかれえぬ私へ」は、震災、復興、フクシマ、風船爆弾、原爆といった過去の事実から構成されるコンテクストを踏まえた作品で、そのためか多くの「言葉」が含まれる作品だったと思う。片や「被膜虚実」、さらに「Breasing めぐる呼吸」からは、ことばによらないコミュニケーションを感じた。サム・フランシスのリズムに身を委ねながら、モンティエン・ブンマーの箱の真中でマスクを取って深呼吸をしながら、あるいは松本陽子のアクリルのテクスチャーに惹き込まれながら、ことばに回収されないものについて思いを巡らすことになった。「さばかれぬ私へ」の竹内公太の作品には、フクシマから空に放たれ、長崎に投下された原爆のプルトニウムを製造していた工場の近くに落下した風船爆弾の落下地点を撮影した1945年当時の米軍の記録用モノクロ写真が含まれていて、乾燥した荒れ地に生えた低木に幾筋もロープが掛かった状況の背景に数名の人影が遠くを歩いてゆく様子がアウトフォーカスで写り込んでいるその写真は、計算された構図で撮影された環境アート写真のようにも見えて、そこにある撮影者や被写体の「ことばに回収されないもの」に今も想像を投げかけている。