祈り・藤原新也(世田谷美術館)

世田谷美術館で「祈り・藤原新也」を観た。藤原新也に四半世紀遅れてカメラと共にアジアを1年間旅したことがあるのだが、当時もその後も藤原新也とはあまり接点がなかった。我が家にも「印度放浪」や「メメント・モリ」はあって、子供たちは手に取っているようだが。NHK日曜美術館の「死を想え、生を想え。写真家・藤原新也の旅」を観たからか、あるいは生者と死者が行き交う「わが町」の芝居を観て戯曲を読んだからか、世田谷美術館に足を運んでみたのだが、意外にも藤原新也の絵画に心を惹かれた。藤原新也の写真には、異質なものと格闘して掴み取ろうとするようなある種の気迫や緊張を感じるのだが、絵画には自分の身体が発する微かな声を自由に描いた優しさがあるように思えた。写真の中では、東アジアの田舎の風景や引退直後の三浦百恵の写真に同じ通路から吹き上げてくる空気が感じられるような気がする。生と死が鬩ぎ合い交じり合う様を写真に焼き付けた藤原新也の中で、人知れず鬩ぎ合い交じり合ってきた異質なものの存在に触れたようで興味深かった。