ミラノの奇蹟

ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「ミラノの奇蹟」を観た。井上ひさし著「ボローニャ紀行」(文春文庫)を読んでいたところ、この映画が「生涯で観た最高の一作といってもいいかもしれません」と紹介されていたので、大学でイタリア映画の講義を受けている次女に話したところ、最近のNIKKEI STYLEで紹介されていたという話になり、観てみることになった。デ・シーカ監督といえば「自転車泥棒」や「ひまわり」、特に「自転車泥棒」は父親が好きな映画だと言っていたことがあったり、この映画に一章を割いた木庭顕著「誰のために法は生まれた」(朝日出版社)を数年前に読んだこともあって印象が強く、そのレアリズモ・テイストからは遠く離れた「ミラノの奇蹟」の奇想天外なファンタジー感は意外だったのだが、やはり底流には通じ合うものがあって、むしろ「ミラノの奇蹟」には、お伽噺しの温かさに包まれたヒューマニティを感じるものの、その奥にペシミスティックで強かな笑いの精神が漂っているようにすら思えた。家族が中心にあるイタリア社会で、家族を持たない貧しい人たちの共同体(疑似家族)が生まれ育って終わりを迎えるまでを描いたこの映画に、ある種の可能性と希みを感じたいと思っている。