レオポルトシュタット(新国立劇場)

新国立劇場で「レオポルトシュタット」(作:トム・ストッパード、翻訳:広田敦郎、演出:小川絵梨子)を観た。トム・ストッパードの作品には、「未来世紀ブラジル」や「恋に落ちたシェイクスピア」などの映画の脚本として接したことはあっても、戯曲の上演を観るのは初めてで、芝居を観た経験が少なく、翻訳劇に至ってはほぼ初めてといった自分がどこまで味わうことができたのか心許ないのだが、音声を音声に変換する戯曲の翻訳は、文字を文字に変換する小説の翻訳以上に難しい仕事ではなかろうかという印象を受けた。1899年から1955年のウィーンのユダヤ人家族を描いた戯曲で、日常の幸せを楽しく描く場面も多いのだが、登場人物の多くはアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で亡くなることになる。先日、ゲルハルト・リヒター展で「ビルケナウ」を観たこともあり、この世代のヨーロッパの知識人にとって、晩年になるまで向き合わざるを得ないアウシュヴィッツが持つ重さや意味について考えさせられた。リヒターは1932年生まれ(本田勝一、小田実、大島渚も同年生まれ)、ストッパードは1937年生まれ(別役実、古井由吉、つげ義春も同年生まれ)である。因みに自分の父親は1935年生まれなのだが(大江健三郎、高畑勲、蜷川幸雄も同年生まれ)、この世代の日本人の多くが晩年になるまで向き合ってきたことが何だったのか、一括りにまとめられるものではないけれど、ちょっと考えてみたいと思った。そんな難しい話もありつつ、そういえば、ストッパードの代表作「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」を5年前に小川絵梨子が演出した舞台では生田斗真と菅田将暉が主役の二人を演じたらしい。今回の舞台もイケメン揃いで、客席には若い女性も多かった。