バラード第4番

幻想ポロネーズの聴き比べをするうちに、10年近く前に聴き比べたバラード第4番をまた聴き比べてみたくなり、フランソワ(1954)、グルダ(1954)、ルービンシュタイン(1959)、アシュケナージ(1984、1999)、ツィメルマン(1987)、ダン・タイ・ソン(1993)、ペライア(1994)、ポリーニ(1999)、アンドレジェフスキ(2003)、フレイレ(2013)の録音を聴き比べてみた。幻想ポロネーズの聴き比べをした後でバラード第4番を聴き比べてみると、アシュケナージやツィメルマンあたりが本流の演奏なのだろうな、と思うのだが、自分はやはりポリーニの演奏に惹かれてしまう。その理由の一端は、ポリーニの録音でこの曲を初めてきちんと聴いて好きになり、その後も繰り返し聴いてきた刷り込み効果にあるとは思うのだが、他の演奏とは異なるポリーニの演奏の個性に魅力を感じている面も大きいように思える。今回聴き比べた最初の印象は、他の演奏にはある意味私小説的な世界を感じるけれど、ポリーニの演奏にはその世界には収まらない手触りを感じるといったもので、もう少し聴き比べてみると、おそらくその理由はポリーニが声部(特に左手)の独立性を高めたポリフォニックな演奏をしているからではないかと思えた。リードギターがメロディーを奏でているのに、ベースはそっぽを向いてマイペースな演奏を始め、それを聴いたサイドギターも好き勝手な演奏で加わってきて歌まで口遊んでいるけれど、何故かバランスは取れていて、そのうちにそれぞれの演奏が複雑に絡み合いながらカタストロフに向かっていく、そんな不確実性の裂け目から異界に触れるようなスリリングな刺激がこの曲のポリーニの演奏にはある、と言ったら的外れだろうか。ショパンらしくない演奏なのかもしれないが、バッハらしくないグールドの演奏に魅力があるように、この曲のポリーニの演奏にはどうしても惹かれてしまう。